2014年2月5日水曜日

5. 刑事さん初体験と2002年の私の反原発選挙ポスター

 今日は私の刑事さん初体験の話をしたいと思います。

私の初の翻訳の仕事は、千葉にあるマブチモーターでの海外事業部での通翻訳の仕事でした。人格者だった技術部長の上司のK氏には技術翻訳について一から教えて頂き、本当にお世話になりました。1年半ほど勤めましたが、主な業務が翻訳で、おしゃべり好きの私は通訳もどうしてもやりたくて退職し、通訳者を募集していた千葉のイオン本社に勤めました。

それから3年半後の2002年8月、なんとマブチモータ社長宅殺人放火事件が起きました。社長の妻が1階で、長女が2階で絞殺され、家屋も放火されたという、残酷極まりない凄惨な事件でした。

退職した後だとは言っても、あまりにひどい事件。マブチ時代からの友達と、「本当にひどい話だ」と話していました。

うる覚えですが、確か独身の40歳の長女は、この日、家族の誕生日のためにお気に入りのチーズケーキを買って帰った時に起きた出来事だったと思います。

さて、その年の終わりころだったと思います。私が一人で借りて住んでいた小さな家に知人の女性を招き、お茶を飲んでいたら、呼び鈴が鳴りました。

玄関を開けると、2人の男性が立っていました。

「竹野内真理さんですね。私たちは千葉県警刑事課のものです。今、マブチモーターの事件の捜査をしており、ご協力願います。」

もうびっくりしてしまった。ドラマのようにこういう事ってあるんだなあと、どぎまぎしながら、

私 「ええ、どうぞ、ご協力できることでしたら。。。」

と答え、まずは、名前や生年月日、退職した時期など一般的質問。

刑 「なにか事件についてご存知のことはありませんか?」

私 「いえいえ、もう退職してからしばらく経ちますし、なにもわからないです。」

そして次の質問が、心底私の度肝を抜いたのである。

刑事 「あなたのアリバイを教えてください。」

え、アリバイ!???

私 「アリバイって、アリバイって、刑事さん、あまりに失礼じゃないですか?あんな残酷な犯罪、私がやれるように見えますか?ちょっとひどい質問だと思います。」

刑事「いえ、私たちも職務としてやっているので教えて下さらないと困ります。2002年8月5日、あなたは何をやっていましたか?」

私 「え、ちょっと今即答できません。あ、待ってください。手帳を見るとわかるかもしれません」

と、ドキドキしながら隣の部屋に行って手帳を探す。あったあった。。。

お茶を飲んでいた知人には、会話が筒抜けだったので、「大丈夫?」という心配の声。

戻ると刑事さんはなぜか少し焦っている様子。

計 「どなたかいらっしゃるのですか」

私「ええ、今ちょうど知人が来て一緒にお茶を飲んでいたところです。」

刑 「それはそれは・・・」と刑事さんは急に居心地の悪い顔をする。

私 「スケジュールがわかりました。刑事さん、私には完璧なアリバイがあります。

(なんで私がこんなセリフを吐かねばならないのだと、いぶかしく思いながら)

2002年8月のその時期は、私はインドに通訳で行っておりました。NHK番組の制作会社の方々と一緒です。」

そうなのだ、私はこの日、インドの環境活動家、バンダナ・シバさんの番組作りの通訳として国外にいたのです。

刑 「では、そのTV制作会社の人にもあとで確認を取りたいので教えてください」

私 「わかりました。会社の名前は・・・同行したディレクターは・・・電話番号は・・・・」という風に刑事さんに情報提供。

刑 「では、来客中に失礼しました。」

ということで、この日はこれで去っていきました。

私 「あんなひどい事件で、私のアリバイを聞くなんて、失礼にもほどがある!ぷんぷん!」

知人 「びっくりするわよねえ。。。」

この時に家に知人がいたのが助かりました。彼女が私を心配して守ってくれたのです。

というのも、私がそのちょっと前の2002年11月17日の松戸市議会選挙で、反原発活動家として立候補していたからです。

知人 「ねえ、なにか不安なことがあったら、私に相談してね。私、ある人権弁護士と親しいのよ。」

その後、この刑事から、電話がありました。

刑 「この間のTV制作会社の件では、確認ができました。」

私 「ああ、そうですか」

と言ってこれで終わりかと思ったら、なんだかんだと質問がありました。

あまり「いい感じでないなあ」と思いながら電話を切った私。

不安がよぎり、先ほどの知人に人権弁護士を紹介してもらいました。

事のいきさつを話すと、その弁護士曰く、

弁護士 「ああ、それは別件捜査に当たりますね。マブチモーター事件の捜査であるのに、それ以外のことを聞き出そうとするのは、法律違反なんですよ。」

私 「別件捜査!そういう言葉があるのですね!」と私は納得して帰ったのでした。

するとその数日後に、再び電話が!

そして刑事さんはいきなり、「あなたの素性を教えてください。」と言います。

もうなんだか、私はムカムカしながら、大きな声を出してしまいました。

私 「刑事さん!いい加減にしてください!私は先日、この問題で多少不安を感じ、人権弁護士に相談させてもらいました。刑事さんの今やられていることは、『別件捜査』という行為に当たり、法律違反だそうですよ。刑事さんは、たぶん私が反原発だから、それでついでに、いろいろ調べようとしているんでしょう?そうでしょう?でもこれは法律違反です。これ以上、捜査を私にするのなら、また弁護士に相談させてもらいます!」

と勢いよく言ってしまいました。私の勢いに押され、刑事さんは、すんなり引き下がり、その後2度と電話は来ませんでした。

私は常々、理不尽を感じていて仕方なかったのです。

私の反原発の活動は、ほんとうに環境や人の命、特に子供たちや未来世代を守りたいという純粋なものです。

それを「何か悪いことをやっているかのように見る人びと」が世の中、なぜか結構いるのです。

普通の人たちでもです。こういう活動は、「なんとなくやばいし、陰気くさい」という事で相手にしません。

3.11後はそれでもまだよくなりましたが、事故前は特にそうでした。

(といっても今でも、私の周りには多くのおかしな人々がいます。お暇な人は、「デマリン」で検索をかけてみてください)

そういう風潮に対するうっぷんも、この刑事さんにぶつけてしまい、口調がやや強くなってしまったかもしれません。

さて、刑事さんからの捜査を受ける前に、私は松戸市議会選挙に出たと言いました。理由は、こちらも純粋に「反原発」です。

きっかけは近くの公民館で市民の集いがあり、私がたまたま発言をしたら、居合わせた市民派の市議会議員が私を気に入り、後日、なんと県議会議員も連れて私を呼び出したのです。

「市民派の議員を増やしたい。私たちが後援するので、あなた、今度の松戸市選挙に出ませんか?」と申し出てきました。

オーケーはしたものの、その後私が頑固に、「原発問題が何と言っても最も大事な問題です!」とずっと主張していたら、いつの間にかこの話は立ち消えになりました。

ところが、その話をたまたま、反原発の青森の方にしましたところ、「私たちも応援しますから、原発のない松戸で、反原発を掲げて、あなた、ぜひ選挙に出てください。」と言われました。

この方に出会ったのは、2002年、六ヶ所村の橋本寿村長が自殺(?)された後の六ヶ所村村長選挙に個人的に応援に行った時でした。この時、うぐいす嬢もやらせてもらいました。

(帰ってきたら、原子力資料情報室から秘密裏に解雇されたという落ちもついていますが、これについては別のページをご覧ください)

支援もなく、家族の大反対もあり、とても迷ったのですが、原発問題を訴えたい一心で、思い切りました。

選挙に出れば、松戸市民17万世帯に、無料で広報を配ることができます。そこに私は地震と原発の危険性について、スペースを割いて書きました。

また私の選挙ポスターには、下半分に原発に関して2つの最も大事だと思っていた情報を載せました。以下のものです。

恥ずかしいので伏せていましたが、今でも価値があるのではないかと思うし、最近では「計画停電は本当に必要があったのか?」という声も聞こえていますし。。。


2002年の松戸市議会選挙ポスター

(このきれいな選挙ポスターは、先ほどの六ヶ所村再処理施設に反対する青森のお友達の印刷屋さんに作っていただきました。他の仲間の青森の方も、食べたことないようなおいしい「いくら」をもって、自宅まで来て応援頂き、お世話になりました。)

左は地震と原発の地図です。原発の位置を示した日本地図に、歴代地震の震源域をかぶせたものです。

日本には、震源を点で示すだけのものが多く、このように震源域で示してあると、原発をたくさん抱えた日本がひどく危険であることがわかります。

また、歴代地震の年代が書いてあるので、ある時代に集中して大地震が起きていることがわかるのです。例えば、戦時中や戦後の40年代は、M7以上の地震が6年の間に4回も起きています。これはすごい頻度です。

もうひとつは原発がなくとも電気は足りているというグラフです。

私はこのグラフを、2000年に、なんと日本から海外向けの英文雑誌で見つけました。棒グラフになっていて、火力と水力を足せば、最大需要も原子力がなくとも賄えるというのが一目でわかるグラフです。それをスキャンして訳をつけました。

元の数値のデータは、電事連の下部組織の中央電力協議会ですから、間違いありません。

私は、反原発になってから、ことあるごとにたくさんの政治家や、団体にこの2つの資料を持って歩き、脱原発を訴えてきました。しかし実際に行動してくれる人というのは、ほとんどいなかったです。

それで業を煮やし、では一般の何も知らない人々に、これを見せたら驚いて行動してくれるのではないかと思ったわけです。

自分がそうでしたから。。。原発の真実を知るたびごとに、びっくりし、行動せずにはいられませんでしたから。

で、選挙結果は1700票が当選ラインで私は920票。

供託金がとられなかっただけでも上等です。

「え?原発?松戸には関係ないんじゃないの?」とよく演説をしていて言われました。

しかし事故後、誰が松戸がホットスポットになると予想していたでしょうか。。。

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