2021年3月11日木曜日

福島原発事故による私の東京での初期被曝体験と健康被害

 

 以下は『内部被曝』(扶桑社新書、2012年3月)のあとがきとして、竹野内真理が書いたものです。

 

あとがき

竹野内真理

 

肥田先生からの手紙

6月の初旬、肥田先生から一通の手紙が来た。6月2日、東京での健康相談会で、50人ほどの健康被害を訴える人々の相談をしてきたと言う。この相談会は、チェルノブイリの子供たちの保養・里親制度を20年間支援してきた「チェルノブイリのかけはし」の野呂美加さんが企画したものだ。相談者のほとんどは、鼻血や下痢、皮膚疾患など、低線量被曝と思われる症状を呈していたと言う。肥田先生の見たなかでも、20代女性でひとり、以前は甲状腺に疾患の無かった方が、甲状腺の腫れが見受けられたという。また、会社員で福島にボランティアを3日間ほどした男性が、帰ってきてから、活力がなく、ぶらぶら病のような症状を呈している人がいたと言う。手紙は、以下の一節で閉じられていた。「あなたの沖縄行きは正しい。子供のために、しばらくは東京に戻らない方がよいでしょう。」

私が東京を離れたのは、放射性雲がちょうど東京を通過中の3月15日だ。午後の便で立ったのだが、朝一番の便で立たなかったことを本当に悔やんでいる。15日は所用を済ませるため、午前中から昼過ぎまで、すなわち、放射能が最も都内で濃厚だった時間帯に、私は1歳4ヶ月の息子をおぶって自転車で港区三田の街中を走り回っていたのだ。私はその日自転車に乗りながら顔に受けていた風をいまだに忘れられない。穏やかな晴れた日で、そよ風が吹いていた。放射能という体感できない危険物質を除いては、まったく普段と変わらなかった。1歳の子供と言うのは、決してじっとマスクなんてつけてくれないものなので、私もしないでいた。

放射能雲が東日本を駆け巡る中、政府は、血税を100億円以上かけた緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)システムが稼動していたにも関わらず、国民に対してまったく警告を発する事をしなかった。(ところが管轄の文部科学省は外務省を通して3月14日に米軍には情報提供していたという。)しかしこのとき、世田谷区にある東京都産業労働局で立方メートルあたり数百ベクレルという濃厚な放射性物質の量が測定されていた。また、小出裕章京都大学助教の以下のデータが後から発表された。ところがこのときの国会中継はTVで放送されなかった。小出氏はデータの数値をパニックになるからと上司から発表を止められたという。

 

315日における都内の2地点での測定結果

台東区 11:14-12:14   世田谷区 0:00-14:00

 

Bq/m3

   

 

ヨウ素131

ヨウ素132

セシウム134

セシウム137

ヨウ素131

720

0:007:12

10.8

8.5

1.9

1.8

ヨウ素132

450

7:128:23

3.4

1.2

0.2

0.2

ヨウ素133

20

8:239:00

6.2

3.4

0.8

0.8

テルル132

570

9:0010:00

67

59

12

11

セシウム134

110

10:0011:00

241

281

64

60

セシウム136

21

11:0012:00

83

102

24

23

セシウム137

130

12:0013:00

8.7

8.3

2.2

2.2

小計

2021

13:0014:00

5.6

4.2

0.8

0.8

出典:小出裕章氏     東京都産業労働局ホームページより

 

もうひとつ重大なデータがある。放射線医学総合研究所が「甲状腺等価線量評価のための参考資料」と題する報告書を原発事故後の325日に出している。これは、ヨウ素やセシウムなどの放射性物質を体内に取り込んでおきる「内部被曝」についての資料で、「312日から23日までの12日間、甲状腺に0.2μSv/時の内部被曝を検出した場合、甲状腺への等価線量がいくつになるかを示している。福島では0.1μSv/hの最大値が出たというが、これは1歳児の場合であれば、甲状腺への等価線量50mSVにあたる大変な数値だ。そしてベクレル数で言えば、以下の数値の2分の1として約2000Bqとしても信じられないくらい高い値である。

 

年齢

0.2μSv/hのサーベイメータ正味指示値に相当する甲状腺放射能

12日間吸入摂取し、13日目に計測した預託実行線量

先条件での甲状腺等等価線量

1歳児(13歳未満)

4400Bq

5.4mSv

108mSv

5歳児(38歳未満)

4690Bq

3.2mSv

64mSv

成人(18歳以上)

6030Bq

0.8mSv

16mSv

出典:放射線医学総合研究所 2011325

 

子どもとともに体調を崩す

それからひと月ちょっとたった4月の後半より、今まで風邪で熱など一回も出したことがなかった息子が高熱を出し始めた。多くの乳児がかかるという突発性発疹というのは生後8ヶ月ころにかかったが、マニュアルどおり5日で全快し、それ以外には風邪ひとつ引かない子だったのである。翻訳の仕事が忙しく、冬の時期には近くの預かり所に4、5時間預けたことも時々あったが、周りの子どもの風邪がうつることも一度もなかった。産後に体が弱っていた私が風邪を何度も引いて熱を出しても、添い寝をしている息子にはまったくうつらないくらい健康で丈夫な子どもだった。免疫が切れるといわれる生後6ヶ月から1年も難なく過ぎ、14ヶ月の息子は病気知らずのすこぶる健康優良児だったのだ。

沖縄の保育園に行っても、入学して2週間は今まで通り元気であった。しかしその後体調を崩してからは、一ヵ月半あまりの間に合計10回以上も高熱をだした。熱が下がったときに保育園に連れて行っても、園の先生によれば、座りっぱなしのときが多くなったり、みなで散歩に行っても途中で歩くのを止めてしまい、先生が抱っこして運ばねばならかった時もあったと聞いた。真っ先に頭にかすんだのは、「原爆ぶらぶら病のようになってしまったらどうしよう」だった。子どもの元気がなくなることほど母親として心配なことはない。食欲も落ち、一時期は丸々していた体がやせてしまった。また体中に発疹が出やすくなり、一時期はかわいそうなくらい全身ボツボツだらけになった。今まで抱いた時の感触がつるつるだった肌が、ざらざらになった。そして風邪がやっと治ったかと思った矢先、ウィルス性の感染症である手足口病にかかり、咳もしばらく続いた。2ヶ月経てやっと回復したが、その後軽い下痢を起こした。こんなことは以前はなかった。(幸い汚染の少ない沖縄にいるので今は元気であるが、以前よりも発熱しやすくなっている。)

体調を崩し始めたとき、私自身は2冊目の翻訳書『人間と環境への低レベル放射能』の最終校正で忙殺され、心配している暇もなかったのだが、息子と同時期くらいに熱が出始め、5月のはじめには、検査をしてもインフルエンザでも肺炎でもないのに、39度台の熱が連続8日間もまったく下がらなかった。そのような風邪を私は人生において引いたことがない。しかし始めのうち私は、締め切りのことばかり考え、315日のことはほとんど頭になかった-というか、考えようとしていなかった。実際被曝していたとしたら、あまりにも自分にとってショッキングなことなので、無意識に思考停止していたのかもしれない。

そんな折に肥田先生からの手紙を受け取り、気づかされたのであった。もちろん子どもは放射能なんか知らないので、放射能恐怖症・ストレス性などということはありえない。私の痰が多く出ると言う症状は、被曝労働者の間でよくある症状だと聞いている。放射性物質の付いたほこりを吸えば、その粒子の何パーセントかは気管支や肺に沈着するであろう。それを考えれば、沈着した放射性物質により、何らかの形で咳や痰が多く出るようになるというのも大いにあり得る。さらにごくごく細かい粒子については肺胞をも通り抜け、血液やリンパ液に入り、全身に回るのだろう。被曝労働者は防護服を着ているから大丈夫、などと言うが、彼らも呼吸をしながら、着替えをしなければならない。放射性物質の付いたほこりを吸い込むことが皆無であるはずがない。

「ママ、ジュース、わんわん」とやっとしゃべれるようになったかわいい息子。健康優良児で生まれ、母乳をなるべく長くやって元気な子に育てようと頑張ってきたのに・・・。息子が調子を崩すたびに、315日の放射能雲のことを思い出し、悲しい気持ちでいっぱいになる。(東京にいた私でさえ、こうなのである。福島のお母さんたちは、いかほどであろうか。)

肥田先生には、1歳の息子が低線量被曝だとすると、どういう経過をたどるのか聞いてみた。すると、先生はおっしゃった。「わかりません。広島では、あの過酷な状況下で赤ん坊は皆死んでしまったからです」という悲しい答えが返ってきた。3.11の後、いち早く米国から安否を確かめるメールを下さったスターングラス博士にも聞いてみた。すると、博士の答えも、「わかりません。私が研究対象にしたのは1歳未満の乳児です。あなたのお子さんは1歳以上だから私にはデータがありません。」であった。私はこのふたりの科学者を常に尊敬している。お二人はきちんとわからないことはわからない、と言う。いい様にも悪いようにも無責任な事はいわない。科学とはそうあるべきものなのだ。もちろんお優しいお二人は母親である私を傷つけまいとする配慮もあったかもしれないが。

 

チェルノブイリの教訓とバンダジェフスキー論文

今回の福島原発事故では、セシウム換算で、日本政府の発表でも広島の168倍(チェルノブイリは500800倍)は少なくとも出ている。ノルウェーの研究機関では、日本政府の発表のさらに2倍を推定している。さらに福島原発からの放射能はいまだに漏れ続けている。このような中、福島事故の影響として学ばねばならないのはチェルノブイリの影響である。10月、沖縄にも野呂美加さんとベラルーシの小児科医、スモルニコワさんがやってきた。スモルニコワさんの話によれば、驚くべき事に、彼女の住む地域では、徴兵制で普通に兵士として取られる割合が今では3割しかいない、という話であった。彼女の持参してきたデータを見ても、先天性障害が右肩上がりに増えている。

2006年にアカデミー賞ドキュメンタリー部門を受賞した、映画チェルノブイリハートも記憶に新しいもので、まだご覧になっていない方にはお勧めしたい。そこでは、健康な新生児の割合が2割に落ち込んでしまったと言う衝撃的な事実を紹介している。そして、心臓欠陥を持つ子供が数多く生まれ、手術を待つ子供が間に合わずに亡くなってしまうという過酷な事実。母親として、子供たちが傷つき苦しむ姿を見ることは、本当に胸が締め付けられるものだ。私は99年から原発に関しては自分なりに勉強してきたつもりであったが、チェルノブイリについての、これほどまでに過酷な現実を知る事がなかったことを今とても反省している。

昨年12月、本書にも幾度か引用されているバンダジェフスキー著『放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響』という本が正式に出版された。セシウムの内部被曝による人体への影響を詳細に著したもので、この本は今最も読まれるべき本だ。ゴメリ医科大学の学長であったバンダジェフスキーは、亡くなった多数の患者を解剖し、各臓器のセシウム蓄積量と病変を徹底的に研究した。もちろん、このような研究は日本にも、また世界にも皆無と言ってよいだろう。

政府寄りの学者の講演会があるときには、この本を持っていって、「バンダジェフスキーの論文を読んだことありますか?」と聞くだけで、学者らは答えに窮するであろう。(私も「放射能安全論」のような講演をしにきた東大のお医者様を問い詰めたことがある。彼は実はこの本を読んでいたため、この論文の重大性を理解しており、休み時間になって「実はいろいろ困っている」と弱音を吐いてくださった。あげくに、「まだまだ読まなければならないロシア語の文献がたくさんある。竹野内さんはロシア語の翻訳はしないのですか?」と逆に聞かれたほどである。)

真面目に私は日本のすべての医師が、バンダジェフスキー論文をいますぐに読むべきと考えている。私は茨城大学名誉教授の久保田護さんが翻訳して自費出版したこの論文を初めて読んだ昨年夏、大変な衝撃を受け、さっそく日本医師会にメールを送ったが、当然のように今も無視され続けている。

 

子供たちは今からでも強制疎開にすべき

さて、今一番早急にやらねばならない事は、もちろん子供たちの命を守ることである。自分たちの子供だけではない。日本国中全ての子供だ。そしてまず一番困っているのは福島の子供たちだ。大家族が多い福島では、おじいさんおばあさんが農作業をし、嫁が反対するのを押し切り、放射能の意味もわからず孫に汚染野菜を食べさせ、孫が病気になってしまったケースもあると聞いている。なんという悲しいことだろう。だいたい、福島の高線量地域で福島の人々が被曝しながら働かねばならないという事態がおかしいのだ。このようなことを許している実態があるから、汚染食品や汚染建材などが全国に流通してしまうのだ。

汚染地帯からは人を撤退させこれ以上被曝させない事、逆に物流はその場にとどまらせ、移動させない事は大原則のはずなのだが、国が今やっていることはその反対で、人は福島に留まらせ、汚染食料や汚染物質は全国に流通させている。最も被害にあっている人に焦点を合わせ、彼らこそを優先して救済しなければ、いずれ私たち皆が窮することになるはずだ。肥田先生も『今からでも遅くないから、汚染地帯の子供たちは国の采配で強制疎開すべきです』と、このあとがきを書く直前に私に電話で話してくださっていた。福島の方々にはとにかく、今の高汚染地帯から避難して欲しいのだ。

ところが悲しい事に福島県では非常に残酷な事が起きている。せっかくある他都道府県からの福島県民被災者受け入れ体制を、福島県が早期に打ち切らせようとしているのである。県の人口流出=県の収入源=県職員の退職金の減俸といううわさがまことしやかに流れている。理由は何であれ、子供たちの命や健康を引き換えにして良いものなどこの世に一つも無い。12月、福島県からの打ち切り申し入れの通達が来たとき、市民団体から猛烈な反対が巻き起こり、これは撤回された。しかし、ひそかにこの1月末にも県から再び申し入れが行われており、3月末で打ち切りになる可能性があるという。大変な事だ。そのような通達が出たのであれば、許されるものではないし、全国の母親が声を上げるときだと思う。沖縄県も非常に良い受入れ制度があり、県庁に電話をすれば、航空券、一か月分の三食付ホテル代、2年間の家賃を手配してくれる。受入れ制度が続いている間に、ひと家族でも多く沖縄に来て欲しいと願っている。

福島県では他にも信じられない事が起きている。たとえば郡山市議会では、給食をすべて福島米にすることを採決したと言う。市民が反対しても議論の余地もないという。ちなみに郡山市長の孫は他県に疎開をさせているらしく、市議の一人がその問題を追及したら、にやにやしてなにも言わずに誤魔かしたと言う。自分の孫は安全なところにやっておいて、郡山市の子供たち全員に福島米を毎日給食で強制的に食べさせるとはどういう神経なのだろう。また、同じ郡山市では、郡山地方裁判所で原告14人が子供たちの疎開を求める裁判も昨年行われた。12月、裁判所は原告の訴えを棄却。弁護団長の柳原敏夫氏は率直に次の意見を述べている。「この裁判をやっていて見えてきたのは、彼らは皆加害者だからこそ、罪を認めたくないのです。」

食べ物については、ベラルド研究所のバベンコ博士も「子供についてはゼロベクレルを目指すべきです」と明言している。まったくこれはその通りで、バンダジェフスキーの20Bq/kgという体内セシウム濃度で心臓に異変が起こるという事実と体内セシウムの残存量の推移を示す下記のICRPのグラフを見れば一目瞭然である。70kgの大人で、1日たった10Bqのものを食べていても、2年以内に心臓に異変が現れる計算となり、30kgの子供であれば、100日以内に現れるのがわかる。4月からの100Bq/kgという新規制値でもまったく間に合う話ではないのだ。

最近、福島のある高校で、自転車通学をしていた学生二人がほとんど同時期に心筋梗塞で死亡していたと言う悲しいニュースを聞いた。ふたりとも先天的な心臓病疾患は持っていなかったにも関わらずである。放射能との因果関係がない、とは、解剖をして心臓にセシウムが溜まっていない事を確認したのでない限りは言えないはずである。

 

 

 

子供たちがガンになるのを待っているのか?

125日、福島県は、18歳以下の県民に行っている甲状腺検査のうち、原発周辺の住民を対象に先行実施した3765人の検査の結果を明らかにした。

 

受診者総数

3765人(100%

しこりやのう胞がなかった人

2622人(69.6%

5ミリ以下のしこりか20ミリ以下ののう胞があった

1117人(29.7%

5.1ミリ以上のしこりや20.1ミリ以上ののう胞があった

26人 (0.7%

 

実にこれら未成年の被験者の3分の1にしこりやのう胞が見つかった事になる。しかしなぜか読売新聞の報道では、「原発の影響と見られる異常はなかった」とされているそうだ。

福島県立医科大学副学長で甲状腺学会会長の山下俊一氏は、なぜか追加検査を行わないようにとの通達をわざわざ出したという。ちなみに山下氏は、97年に「診断と治療」という医学誌に書いた論文では、「0.5cm以上の結節または異常甲状腺エコー所見のある患者に細胞診を試みると7%に甲状腺がんが発見された・・・これらの患者は事故当時0~5歳が多く、頸部リンパ節転移を認め、悪性の程度も中程度以上である」と書いている。0.5cm以上の結節に該当する上記の26人の追加検査はなぜしないのか。また、09年に「日本臨床内科医会会誌」に書いた別の論文では、「1cm以下の結節でも甲状腺がんがみつかった」、「結節のある大人では100人に1人か2人のガンの可能性があるが、子供の場合は約20%がガンだった。」「小児甲状腺ガンの約4割は、小さい段階で見つけてもすでに局所のリンパ節へ転移がある」と書いている。山下氏の過去の論文を読むと、子供の結節は小さくとも悪性に移行するケースが数多く見受けられるのである。

山下氏はチェルノブイリでの調査から、このような深刻な事態に進展することを直に診ておきながら、なぜ福島の子供をほおっておくのか。まずはこのような結節の見つかった子供は、チェルノブイリの経験を踏まえ、まずは汚染のない土地に避難させるべきではないか。「山下氏は医学調査のために子供たちががんになるのを待っているのではないか」、という声もあちこちで耳にする。そのような恐ろしいことは現実であってほしくない。しかしこの山下氏は福島事故直後、「100mSV以下であれば、妊婦も大丈夫だ」と講演して廻ったと聞く。ところが前述の09年の同論文には、「主として20歳未満の人たちで、過剰な放射線を被ばくすると、10~100mSVの間で発がんが起こりうるというリスクを否定できません。」と書かれてある。このような2枚舌を使うのであれば、噂も現実味を帯びてきてしまう。

いずれにせよ、異変の生じた子供は即刻放射能のないきれいな環境に疎開をさせるべきだ。ある学者は「甲状腺ガンは治るから大丈夫」だなと言っていたそうだが、とんでもない話だ。首にネックレスのような傷跡を一生追わねばならない子供たちの痛手は計り知れないし、その後も治療が一生欠かせない。現松本市長の菅谷市長も5年半に渡るチェルノブイリ救援活動の経験から、甲状腺がんにかかった子供の6人に1人がその後肺に転移していると書いている。

憂慮する事態は福島に限ったことではない。3月初頭、東京都のある医師が、3・11後に体調を心配する市民60人ほどの血液検査を行ったところ、異型リンパ球の患者が、東京や千葉の高汚染地帯に、そして特に乳幼児に多く発見されたという。同時期に行った血液検査で非汚染地帯では異型リンパ球は見られなかったという。この医師は親に尋ねられれば、異変のある子供には避難を勧めているという。命を守る医師として当然の行為だと思う。関東であっても高度に汚染された場所から子供たちは避難すべきなのである。国による異常といえるこの無策状態に、私たちは麻痺されることなく、行動しなければ、真面目に子供たちの命と健康が危機にさらされるのである。

 

私たちがやるべきこと

3.11以降、やらねばならないことが山積みとなってしまったが、どうしても今やらないと、日本の将来そのものがなくなってしまうのではないかと思う、緊急性の高いことがいくつかあるので以下に列記する。いずれのものも、国が政治的に現在はまったく逆のことをやっているが、私は良識と良心のある一般市民、特に子供を持つお母さんたちが動いて、以下のことが達成できないかと願っている。

 

1.         子供たちを強制集団疎開させること。これは肥田先生も言うように、本来は原発を推進してきた国が主導してやるべきことだ。また、動ける親子だけ動き、動けない親の子供は健康を損なってもよいなどという道理はまったくない。除染の限界および害(除染作業者や作業場周辺における大気中の放射性物質により、呼吸器系の内部被ばくにつながる)を知り、避難範囲を即刻広げるべきである。

2.         汚染地帯でいまだに働いている農業や漁業従事者にきちんとした補償をすること。まずは彼らを汚染地帯で被曝させる事をから守り、同時に汚染食物を全国に流通させないことで私たち全てを守ることでもある。食物と同時に米ぬかや飼料、腐葉土など、食品汚染につながるあらゆる汚染源を流通させないようにしなければならない。

3.         汚染瓦礫を焼却しないこと。汚染瓦礫を高温で焼却することにより、放射性物質がより微粒子となり、人体に入りやすくなってしまう。呼吸器からの内部被曝の場合は、消化器よりも排泄されにくいため、要注意である。汚染がれきはこれ以上人体への害を広げないためにも、避難地域を拡大した福島に仮置きするしかないと思う。

4.         低線量被ばく医療体制を全国で確立すること。広島の経験がある肥田舜太郎医師や、チェルノブイリの経験があるバンダジェフスキー博士など、被ばく患者を診てきた医師と情報共有し、低線量被ばくの予防と治療に向けた医師への教育が全国規模でなされなければならない。

5.         第二の福島事故が起こらぬよう、全国の原発サイトと六ヶ所再処理工場にある使用済み核燃料は金属キャスクにいれ、地震が来ても大丈夫なように保管する事を早急に行う事。また六ヶ所と東海の再処理工場に存在する高レベル廃液が漏れたり冷却不能にならないよう、多重防衛策を構築する事。

 

肥田医師は、名著「広島の消えた日」の末尾に「原爆なんかに殺されてたまるか」と書いている。そして被ばく者に寄り添う人生を歩むうちに95歳の今もご健在だ。私たちもしかりで、「原発なんかに殺されてたまるか」であり、どういう状況下であっても、希望を捨てずに状況の改善に努めるしかない。最後に引用をひとつ入れたい。前述のチェルノブイリ医学研究の第一人者である、バンダジェフスキー氏の論文における最終章の1節である。

 

「体内の放射性セシウムやほかの放射性元素に起因する病的変化は、生体全体でとらえるべきである。そうすることで傷つきやすい臓器や組織が判明し、正しい診断、正しい治療、正しい予防措置を選択することが可能になる。

 被災者の健康状態はまさに災害である。しかし、私自身が医者である限り、見込みなしとは言えない。神に誓って私は訴える。尽力できるものは状況改善に全力を尽くせと。

 地球上で生命ほど貴重なものはない。私たちはできる限りのことをして、生命を守りとおすべきである。」

 

ユーリー・バンダジェフスキー